平成のバブル崩壊で一体何が起きたのかということを、ざっと振り返ってみようと思います。
平成の時代を振り返ると、日本経済は低迷し続けた30年だったと言って間違いないでしょう。
ところが、アメリカ経済は伸び、チャイナの経済は急成長し、経済的に世界の一流国だった
日本が二流国に転落した、誠に残念な30年でした。そして、残念ながら今の日本もそこから立ち直れておりません。
平成は、バブル崩壊とともに始まり、バブル崩壊の結末であるデフレ不況から抜け出せませんでした。しかし、よく精査してみますと、それは財務省(当時は大蔵省)と日銀の政策ミスによる不況の30年だったという事実が見えてきます。
■バブル経済とはなんだったのか?
平成のバブルは悪かったのかというと、必ずしもそうではありません。
平成元年(1989年)、バブル当時の日本のインフレ率は2%でした。その後、日銀が2%の
インフレ目標と長年言い続け、ずっと達成ができなかった、2%です。ということは、当時の物価は戦後の経済の中では極めて安定していたのです。
当時の失業率は2%台で、これもとてもいい数字ですから、日本経済は御の字といいますか、
理想的な経済成長のパターンにありました。
では、バブルだったのは何かというと、それは土地と株で起きた資産バブルでした。
1985年にプラザ合意があり、1ドル=250円程だったものが、一挙に1ドル=150円の世界になりました。ここまで円高になると、製造業の輸出に頼っている日本経済は大不況になります。
そこで、不況に備えるということで、日銀が金利を非常に安くして、日本のお金回りを良くしました。
これは正しい政策だったと思いますが、お金が出過ぎてしまい、それが株や土地の市場に
流れ込んで値段が急騰したのです。
■バブル崩壊は日本人の集団自殺?
日本のバブル崩壊を決定的にした要因は、平成2年3月に大蔵省がやった「不動産融資総量規制」です。
つまり、不動産のために銀行がお金を貸す金額を制限したということです。
私はこれを見て、「ああ、これは日本人全体の集団自殺だな」と思いました。はっきり言うと、狂気の沙汰です。どういうことでしょうか?
戦後の日本は、土地神話の社会でした。要するに、「土地の値段は常に右肩上がりで、絶対に下がるものではない」ということです。だから、銀行は人にお金を貸す時に、土地を担保にしていました。しかし、土地の値段が下がってしまうと、例えば銀行は「3億円の土地しか持ってないのに5億円も貸している。返しなさい」となりますが、返せませんから破産です。
そういうことがバブル崩壊後、日本中で起きました。すでに土地の値段かは、下がり始めていたのですから、放っておけばよかったのです。先祖伝来の土地を売って、泣きの涙でその土地を離れた人が、東京都だけでもどれだけいるでしょうか。土地の値段を下げるというのはそれだけ恐ろしいことなのです。
このことを当時の大蔵省は全く理解していなかったのです。